昨日(3月11日)、東日本大震災の発生から15年目を迎えました。
関連死を含む死者・行方不明者2万2230人、建築物の全壊・半壊40万4893戸、ピーク時の避難者約47万人、停電世帯800万戸以上、断水世帯180万戸以上、未曾有の大災害です。
その年に生まれたのが3年生のみなさんですね。
この震災での犠牲者の死因のほとんどが、津波に巻き込まれたことによる水死であったと言われています。場所にもよりますが津波の中には、大量の砂や海底のヘドロ、港湾施設の重油などの有害物質などが含まれていたそうです。砂が肺に入れば気管を詰まらせ、有害物質が肺に入れば身体を侵します。水死に至る経緯は、これらで呼吸困難になったり、がれきが当たり意識を失ったり、3月の雪の舞う中で低体温を伴ったりなど、様々なケースがあったと考えられています。
地震から約1時間後に14~15mの津波に襲われた東京電力福島第一原子力発電所は、1~5号機で全交流電源を喪失(そうしつ)しました。そのことで原子炉を冷却できなくなり、1号炉・2号炉・3号炉で炉心溶融(メルトダウン)が発生し、大量の放射性物質が外部に漏れ出る重大な原子力事故に発展しました。
この事故は国際原子力事象評価尺度で最悪のレベル7、あのチェルノブイリ原子力発電所事故と同等に位置づけられている世界最悪の原子力発電所事故でした。
多くの命を奪った地震と津波、そして今のなお故郷を離れ、避難を余儀なくされている人たちがたくさんでてしまった原発事故。今、私たちができること。これから私たちがしなくてはいけないことを確認するためにも3月11日という日の意味をそれぞれに考える必要があります。
【保護者のみなさまへ】
あの日、保護者のみなさまは何をしていましたか。
私は当時、この道明寺中学校で勤務していました。今のオオトリTと同じ首席という立場で2年1組の担任をしていました。あの日は道中の卒業式。式後の後片付けも終え、午後2時46分、職員室の自席で地震を体験しました。ガタガタという揺れではなく、ゆ~らゆ~らと大きな周期で揺れるものでした。遠くで大きな地震が発生した可能性があるなと、職員室にあるTVの電源を入れた記憶があります。その後、数日間は大変なことがおきてしまったということ、そして、福島第一原発の水素爆発を目の当たり(まのあたり)にしたときは、日本はどうなっていくのだろうと考えていたことを今でもはっきりと憶えています。
ぜひ、当時の記憶を子どもたちに話してあげてください。
15年前の出来事はいずれ起こるであろう南海トラフ地震をひかえた私たち関西地方の人間には、必ず教訓としていかされるはずです。もし海岸線にいる場合、その場所に何分後にどれくらいの高さの津波が来るのか。互いを心配して探しに行くのではなくそれぞれが各自の判断で高台に避難することや携帯電話が通じない場合の連絡方法などの確認をしてください。
怖がるのではなく、正しいことを〝知る〟ということが大切だと考えます。プレート型の巨大地震、それに伴う大津波の人的被害は防ぐことができます。正しい知識と行動力次第で必ず助かります。